ケータイ辞書JLogosロゴ 金埼(古代)


福岡県>玄海町

 奈良期から見える地名。筑前国宗像【むなかた】郡のうち。「続日本紀」の神護景雲元年八月辛巳の条に「筑前国宗形郡大領外従六位下宗形朝臣深津授外従五位下,其妻無位竹生王従五位下,並以被僧寿応造金埼船瀬也」とある。僧寿応の勧めによって金埼に船瀬防波堤を築いた。宗形朝臣深津は外従五位下を,その妻無位竹生王は従五位下を授けられている。金埼は,宗像郡玄海町鐘崎に比定され,ここは宗像郡の海岸線の最北端の突出部で,響灘と玄界灘との境界にあたり,古代より海難の多いところであった。「万葉集」には,「ちはやぶる金の岬を過ぎぬともわれは忘れじ志賀の皇神」の歌がある(古典大系)。「類聚三代格」寛平5年10月29日の太政官符には「応充行宗像神社修理䉼賤代徭丁事,従良賤十六人,正丁,在筑前国宗像郡金埼」とある。なお,「今昔物語」では「鐘御岬」,「源氏物語」では「鐘の御崎」ともある(同前)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7439298
最終更新日:2009-03-01




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