ケータイ辞書JLogosロゴ 金崎(中世)


福岡県>玄海町

 鎌倉期から見える地名。宗像郡のうち。寛喜2年と思われる8月2日の後堀河天皇綸旨に「築孤島於鐘御崎,可助行舟風波之難事,勧進聖人往阿弥陀仏申状令奏聞候」とあるように,勧進僧往阿弥陀仏が鐘崎に1つの島を築き,舟の避難所としている(宗像神社文書/鎌遺4008)。ところが,宗像社は「芦屋津新宮浜漂濤之寄物」をもって同社の修理の沙汰をしてきたが,築島のためこれができなくなり,寛喜3年4月5日の官宣旨で「曲村田地肆拾町」が寄進されている(同前/鎌遺4121)。次に,文永2年8月9日の太政官符には「鐘崎織幡明神」が見える(鎮国寺文書/鎌遺9326)。また,鎌倉末期に成立した「宗像大菩薩縁起」にも,「金崎織旗(幡)大明神」とある(神道大系神社編宗像)。下って,応永23年宗像宮年中行事には「国連社〈金崎郷〉」があり,応永神事次第の2月1日の「孔大寺権現事」中に「串ノ竹ハ金崎ノ寺ノ役」とある(同前)。さらに,戦国期の天正6年6月1日の第一宮御宝殿御棟上之事置札によれば,鐘崎は造営中の木屋の肴の調達を課されていた。なお,文禄4年の筑前鞍手宗像御牧三郡内知行方目録帳では,鞍手郡の内に「かね崎村」があり,吉田村・牟田尻村の2村と合わせて1,915石6斗9升と見える(小早川家文書1/大日古)。ところで,室町期の「賀茂社法楽宗牧独吟名所百韻」では「かねの三崎」(続群17),「筑紫道記」では「鐘のみさき」,「九州道の記」では「金が御崎」ともある(群書18)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7439299
最終更新日:2009-03-01




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