ケータイ辞書JLogosロゴ 鐘崎村(近世)


福岡県>玄海町

 江戸期〜明治22年の村名。宗像郡のうち。織豊期までは上八【こうじよう】村枝郷であった(指出前之帳)。黒田長政入国後に同村津日の浦の民家を当地に移したともいう(続風土記)。福岡藩領。勝浦触に属す。村高は,「慶長国絵図」73石余,「正保郷帳」82石余(田43石余・畑38石余),「元禄国絵図」82石余,「天保郷帳」85石余,「旧高旧領」も同高。近世後期,枝村として払川があった。漁村であり,特に海女漁が盛んで,鐘崎海女は近海のみならず,遠く能登半島にまで足跡を残している。宗像七浦の1つ。庄屋は交替制。織幡【おりはた】神社は「しきはんさま」とも呼ばれ,漁民の崇敬が深い。神社はほかに葛原神社・山上神社・保食神社・豊年神社・恵比須神社,寺院は浄土宗福岡大長寺末の泉福寺がある。同寺の過去帳からは鐘崎海女の行動範囲が知られる。明治初期の戸数313(うち漁家140),人口1,468(男733・女735),耕地は田2町余・畑5町余・大縄田畑1町余,田は中稲,畑は大根・琉球芋などを作り,正税は米・大豆33石余,雑税は米・大豆1石余と金29円余(地理全誌)。同7年盍簪小学校が開校,教員1,生徒数は男76・女9。同22年岬村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7439300
最終更新日:2009-03-01




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