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河原田村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
河原田村(近世) 江戸期~明治8年の村名川原田とも書いた(文化十五年村日記/県史10下)会津地方北部,阿賀川南岸,只見川との合流点付近の平坦地に位置する河沼郡のうち会津藩領坂下組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録では38石余,文化15年の村日記(県史10下)では189石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに189石余化政期の家数14軒(新編会津)鎮守は山神社村の東部から東南部にかけて千咲原【せんさきはら】など松林が3か所ある(新編会津)明治8年宮月村・堰沢【せきざわ】村と合併して三津合【みつあい】村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
河原田村(近世) 江戸期~明治6年の村名遠江【とおとうみ】国佐野【さや】郡のうち原野谷川の支流西之谷川上流域に位置するはじめ山内氏領,のち掛川藩領村高は,文禄2年の検地では10石余(掛川市誌),「元禄高帳」7石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに10石余「掛川誌稿」によれば戸数4・人口19村内に社寺はなく,上島村の曹洞宗光徳寺の檀那となる明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県を経て同年11月浜松県に所属明治6年大畑村ほか2か村と合併して上西之谷村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」