ケータイ辞書JLogosロゴ 蒲船津村(近世)


福岡県>三橋町

 江戸期〜明治22年の村名。山門【やまと】郡のうち。柳川藩領。宮永組に属す。村高は,「元禄国絵図」1,354石余,「天保郷帳」1,373石余,「旧高旧領」では東蒲船津村527石余・西蒲船津村917石余とある。明徳3年の創建という艮天満宮がある。鷹尾神社の寛永18年の文書に名が見える蒲船津村大庄屋伊助は宮永組の大庄屋であろう。黄檗宗の祖隠元の弟子となった桃水和尚は当地の出身で,万治2年故郷に帰り父母の追善供養をしたという。北部の二ツ川と沖端川に挟まれた地を散田といい,瓦焼が行われ,柳川城の瓦を焼いたのもここであったという。南部の塩塚川に逆井手という井堰があり,徳益村の桜木安左衛門の発案で築かれたもので,安左衛門は享保17年没(垂見運行寺過去帳)。天明5年孝子として孫次・政次が表彰された。明治初年小学校が開校,藤吉小学校の前身である。明治18年熊本〜長崎間の国道が旧道の南を東西に通じる(現国道443号)。同22年宮ノ内村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7439346
最終更新日:2009-03-01




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