ケータイ辞書JLogosロゴ 上片島村(近世)


福岡県>苅田町

 江戸期〜明治22年の村名。豊前国京都【みやこ】郡のうち。幕末までに片島村が上片島村と下片島村に分かれたことにより成立。小倉藩領。新津手永に属す。村高は,「旧高旧領」837石余。字笠置に菅原神社がある。字寺後の真宗大谷派但信寺は明暦2年の創建で,天明年間の寺院聚録では「灯融山但心寺」と見え,さらに浄土宗鎮西派豊原山平泉寺が記される。なお,字平泉寺屋敷には長保元年頃平井寺があったことが知られる(外記局日記)。明治3年の戸数53・人口257(男115・女142)。同18年の地積は田58町余・畑12町余・宅地3町余(京都郡誌)。明治14年字外堀に上片島村・下片島村・岡崎村・草野村の組合立小学校が設立。同22年小波瀬村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7439402
最終更新日:2009-03-01




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