ケータイ辞書JLogosロゴ 上黒田村(近世)


福岡県>勝山町

 江戸期〜明治22年の村名。豊前国京都【みやこ】郡のうち。寛永9年頃に黒田村のうち南西部が上黒田村,北東部が下黒田村に分かれたことにより成立したという(京都郡誌)。また元文年間,当村の西部は中黒田村の一部となったという(同前)。なお開善寺過去帳などの藩内の文書では上黒田村・中黒田村・下黒田村として記載されたが,郷帳類では黒田村1か村として記される。小倉藩領。黒田手永に属す。享保飢饉の餓死者は174人(開善寺過去帳)。字曲の真宗大谷派の安勝寺は,天正4年曲新左衛門祐信の出家草創という(京都郡誌)。「黒田三千石安勝寺の寝松 松が杖つく旅支度」の俚謡で有名な寝姿の松があったが,昭和50年頃枯死。字正明寺の鹿峰山妙覚寺はもと谷村神護にあった天台宗等覚寺の別院が天正年間移転したもの。のち真宗大谷派に改宗。字向原には観音堂があった。明治3年の戸数49・人口260(男132・女128)。同18年の地積は田90町余・畑15町余・宅地5町余(同前)。同22年黒田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7439411
最終更新日:2009-03-01




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