ケータイ辞書JLogosロゴ 上須恵村(近世)


福岡県>須恵町

 江戸期〜明治22年の村名。筑前国粕屋郡のうち。福岡藩領。旅石触に属す。須恵村から分村して成立。その時期は18世紀中頃と推測されるが不詳。ただし,「元禄国絵図」には「須恵村の内」とあり,「元禄郷帳」「天保郷帳」では「須恵村枝郷」と注記されている。村高は,「元禄国絵図」375石余,「天保郷帳」581石余,「旧高旧領」570石余。弘化元年の人数は男175・女166の合計341(須恵町誌)。同3年の組頭4。17世紀末頃から眼科医田原養卜が医療を行い,代々当地に住んだ。福岡藩御典医となったため,治療に訪れる人が多く,隣の須恵村同様に宿屋ができ,藩も特別に店売を許した。「筑前名所図会」は,この村を「山里の片田舎なれども……都会のごとく繁昌せり」といっている(須恵町誌)。須恵村と同じように目薬が製造された。また須恵村との境に磁器窯がつくられ,藩の御用窯として享和年間に発展した。皿山役所を置き,須恵焼と称した。廃藩後も民営の窯業が明治20年代まで行われた(須恵町誌)。明治6年の戸数107・人口539(男263・女276),田37町余・畠11町余・山林40町余・新開地3町余,物産は目薬・和紙・瓷器・櫨実・酒・醤油など,正税は米・大豆320石余,雑税は米・大豆9石余と金11円66銭余(地理全誌)。同22年須恵村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7439444
最終更新日:2009-03-01




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