ケータイ辞書JLogosロゴ 上棚町村(近世)


福岡県>三橋町

江戸期〜明治初年の村名筑後国山門【やまと】郡のうち矢部川下流右岸に位置する棚は平らな所の意であろう下流部に下棚町村(および中棚町村)がある柳川藩領垂見組に属す村高は,「元禄国絵図」983石余,「天保郷帳」1,002石余,「旧高旧領」1,368石余正保2年高柳村の東を流れていた矢部川を西に変更したので高柳村と分かれ,日枝神社の分霊を高柳に移したといわれている同社の祭神は農耕の神大山咋神である牛で耕している図柄の木彫の絵馬があるその西に観音堂があり,子供を抱いた観音像が祀ってある当地は大友氏の臣田北氏の居住地で,あるいはマリア観音かも知れない上庄の祇園宮の御神体が水害で行方不明となった時,探した結果足洗の地で見つかり,当地の貧乏侍が破れ傘をさして御神体を送った上庄祇園宮祭礼の御神灯の上に傘がさしてあるのはこの故事によるといわれている明治初年頃,棚町村と改称したものと思われる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7439456
最終更新日:2009-03-01




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