ケータイ辞書JLogosロゴ 上中元寺村(近世)


福岡県>添田町

江戸期〜明治20年の村名豊前国田川郡のうち遠賀【おんが】川の支流彦山川最上流域に位置する村名の初見は嘉永5年の小倉藩調査で,江戸後期までに中元寺村が上・下2か村に分村したことにより成立したとみられる小倉藩領猪膝手永に属す村高は「旧高旧領」では下中元寺村と合わせた中元寺村として1,336石余嘉永5年の家数116・人数590,牛115・馬2(県史資料2)明治7年小学校設立,生徒数は男27・女4同11年の戸数132・人口712,耕宅地71町(県史資料2)明治初期の物産は米490石・麦192石・葛11石・柴茶85斤・種子12石・椎茸65斤・楮皮3,000斤・櫨1万2,000斤・木炭3,500貫(豊前村誌)寺社は,永享10年創建という摂光山法円寺,諏訪神社諏訪神社には「蘇民将来の子」に由来する茅の輪くぐり神事が伝わる明治20年庄村との境に中元寺隧道が完成同年中元寺村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7439458
最終更新日:2009-03-01




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