- JLogos検索辞書>
- 河北荘(中世)とは
「河北荘(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
河北荘(中世) 南北朝期に見える荘園名備後国御調【みつぎ】郡のうち因島の中庄八幡宮に奉納された大般若経(東城町法恩寺蔵)の巻446奥書に,「延文五年五月七日,於備後国御調郡河北荘今田浄土寺書写畢」とある御調南条を河南荘といったのに対し,御調北条を河北荘と呼んだようである尾道千光寺の僧空真が先達として永享7年8月に熊野那智参詣をしているが,その時引き連れた人々の中に,「河北上野」の源大夫家盛,「河北ヤイ」の聖道良観宥重が見える(熊野那智大社文書)江戸期に入っても,神村の神田神社を氏神とする御調川以北16か村が,河北荘と称されることもあったと伝える(芸藩通志) |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
河北荘(中世) 南北町期に見える荘園名浅井郡のうち今西河北荘とも称す湖北町今西の余呉【よご】川以北,尾上【おのえ】・石川・津里【つのさと】を荘域とする延元元年6月18日,領家職が竹生【ちくぶ】島に寄付されている(竹生島文書9)また,荘域に妙香院(のちの華頂門跡)の別院である法蔵寺・法道寺・尼寺があり(華頂要略),山王十禅師社を鎮守とすることから,延暦寺領であったと考えられる建暦3年に慈鎮和尚より西山宮に譲与された常寿院領朝日荘(鎌遺1974)と同一かまた,天正2年2月10日の「大浜大工松本新介大工職譲状」に見える「北の庄」もこれか... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」