ケータイ辞書JLogosロゴ 北河内(中世)


福岡県>上陽町

 南北朝期から見える地名。筑後国上妻郡のうち。応安5年8月征西将軍懐良親王・菊池武光らのよる大宰府を陥落した九州探題今川了俊は,応安8年2月日の田原氏能軍忠状によれば,同7年菊池武朝攻略のため肥後菊池に赴く途中の11月15日「黒木北河内」に打ち寄せている(入江文書/今川了俊関係編年史料上)。元中8年10月北朝方の筑後守護大友親世の一族大友親氏と守護代如法寺氏信らは,筑後・豊後両国の軍勢をひきい五条頼治のよる矢部・津江両山を攻めた。同年12月9日の五条頼治申状案によると,親氏らは11日「調山・北河内」に打入り攻撃したが,五条頼治や黒木定善一族の奮戦により撃退された(五条文書/纂集)。なお,江戸期の宝永4年稲員安則が著した「稲員家記」(水田荘広川荘史料)によると,天正14年島津義久は九州平定をめざし同年7月筑後を攻めた。安則の祖先安守・安直らは長延村の城を捨て4日未明「北河内山」を越えて豊後多久山中に潜んだとある。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7439673
最終更新日:2009-03-01




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