ケータイ辞書JLogosロゴ 北田村(近世)


福岡県>立花町

 江戸期〜明治9年の村名。上妻郡のうち。柳川藩領。谷川組に属す。村高は,「元禄国絵図」724石,「天保郷帳」857石余,「明治元年高辻帳」724石余,「旧高旧領」1,373石余。明治5年の田106町9反余(郡郷/立花家文書)。字宮の下にある六所神社の祭神は伊弉那美尊ほか5神,明治6年村社となる。字茶臼塚にある若一王子神社の祭神は稚霊尊,同年村社となる。字伯迫にある玉垂神社は天保12年創建。曹洞宗医王寺が延宝年間の争論で破却され,跡に山門【やまと】郡から開運寺が移された。真宗西派常寂寺は小路にある。飛形山大光寺の本尊は大唐日羅の作と伝え,往時は飛形山上に大伽藍があったが,中世の争乱で兵火にかかり,宝永3年現在の谷中に移して再建,筑後31番の観音札所となる。元禄年間以前は,矢部川沿岸の地70町は,降雨毎に水底になっていたが,田尻総馬が曲松から山下まで1,300間の堤防工事をし,元禄8年完成した。この強制労働に「切る時は木六,竹八,葦九月,総馬が首は今が切り時」との俗謡が生まれた。荒地は良田となり,今も千間土居と呼ばれる。元和元年山下に商家数十軒が移転させられ町場支配が行われた。幕末・維新期に山下町村として分村したと思われる。文久元年北原揚水を三潴【みずま】郡蒲池村から招いて自修館を開設。明治3年伊良良に学堂建設,同7年山門【やまと】郡原町の松尾五次郎を招いて伊良良の学堂を学校として開校。同9年北山村の一部となる。現在の立花町北山の一部にあたる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7439700
最終更新日:2009-03-01




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