ケータイ辞書JLogosロゴ 久保村(近世)


福岡県>古賀市

 江戸期〜明治22年の村名。筑前国粕屋郡のうち。福岡藩領。下原触に属す。村高は,「旧高旧領」1,015石余。筵内村の枝村であり,筵内久保ともいう。文政5年に筵内久保村庄屋茂吉以下組頭5名の名が見えるが(県立図書館所蔵文書),「天保郷帳」では筵内村のうちに含まれており,幕末・維新期に分村独立したものと思われる。明治6年には独立した村として出てくる。宝永3年と元文3年に防砂林として松が植林された。海岸部の花見松原は筑前国八所松原の1つ(続風土記・古賀町誌)。小烏神社・若八幡宮と浄土真宗西派泉林寺がある。明治初期の戸数106・人口528(男268・女260),田65町余・畠18町余・山林176町余・新開地12町余,正税は米・大豆371石余,雑税は米・大豆11石余と金1円24銭余,溜池3,池1,物産は蓮根・松露・鶏卵・櫨実・酒・松葉など(地理全誌)。同22年席内【むしろうち】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7439876
最終更新日:2009-03-01




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