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- 隈村(近世)とは
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隈村(近世) 江戸期~明治9年の村名筑後国三池郡のうち隈川中流域に位置する地名の由来は,入海の隈にあたるところからか柳川藩領田隈組に属す文禄4年12月1日豊臣秀吉が立花宗茂に与えた筑後国知行方目録に「隈村」248石1斗6升とある(立花文書/県史資料4)村高は,「元禄国絵図」「元禄郷帳」ともに340石余,「天保郷帳」359石余,「旧高旧領」340石余明治5年の反別は29町余(郡郷/立花家文書)熊野宮・玉垂宮・拝高天神があり,八幡宮は草木八幡宮の遷座の時に神輿が休んだところという(三池郡田隈組村誌)明治9年宮崎村の一部となる現在の大牟田市宮崎の一部にあたる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」