ケータイ辞書JLogosロゴ 九郎原村(近世)


福岡県>嘉穂町

 江戸期〜明治22年の村名。筑前国嘉麻郡のうち。寛永3年才田村から分村したという(地理全誌)。ただし「元禄郷帳」「天保郷帳」では才田村枝郷と注記される。はじめ福岡藩領,元和9年からは秋月藩領。村高は,「元禄国絵図」「天保郷帳」とも418石余,「旧高旧領」425石余。当村と才田村の長谷・枝国の産土神は愛宕社(続風土記付録)。明治初期の人家は本村・松ケ浦にあり,戸数31・人口138(男68・女70),田24町余・畑6町余・山17町余,正租は米・大豆139石余,雑税は米・大豆4石余と金46銭3厘,池3所,牛23(地理全誌)。明治22年千手村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7439953
最終更新日:2009-03-01




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