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- 神崎(中世)とは
「神崎(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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神崎(中世) 鎌倉期に見える地名肥前国彼杵【そのぎ】郡のうち文応元年11月6日の平兼俊譲状写に,福田・手隈村の四至として「東ハ神崎ノヒタヲ分,草富カキリ,南ハ海カキリ,西ハ大崎ヒタヲカキリ,北ハ川ノ岳カキリ」と見える(福田文書/中世九州社会史の研究)福田・手隈村は古く老手・手隈村と称し,治承4年11月28日に平包守が定使職に任ぜられて以来,同氏(後の福田氏)に相伝されたものである(同前)現在の長崎市西泊町の神崎鼻が遺称地か |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
神崎(中世) 鎌倉期に見える地名文永3年7月29日付佐志房所領譲状案によれば,「譲与 乙鶴所 在肥前国松浦西郷佐志村内塩津留,神崎并鞆田事」とある「神崎」は現在の唐津【からつ】市屋形石に比定され,現在も神崎の字名が残っている(有浦家文書/佐史集成20)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」