ケータイ辞書JLogosロゴ 高良内村(近世)


福岡県>久留米市

 江戸期〜明治22年の村名。筑後国御井郡のうち。文禄2年3月18日の高良社神職名知行注文には,高良山の神領,高良内11町座主領,5町普門院領,5町学頭領,6町乗楽坊領と見える(高良大社文書/郷土研究筑後2)。慶長5年柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領。安居野組に属す。村高は,「元禄国絵図」929石余,「在方諸覚書」の古高1,100石余,「天保郷帳」1,384石,「旧高旧領」2,074石余。文化4年調では,田64町余・畑田2町5反余・畑101町4反余・居屋敷2町3反余(農政農民史料集)。字遣水には府中町千手院(山伏寺)の寺領53石4斗があった(筑後志)。用水は高良川と溜池による。鎮守は若宮八幡。人数は,天明7年1,292,文久3年1,948。高良川谷には御用林150町があり,安居野・五郎丸両大庄屋組内の31か村の共同秣場も設定され,北の耳納の尾根筋にも7か村の入会地があった。村内最高の明星岳山麓鑓水原には藩砲術方の試射場が設けられた。天保15年,藩士板垣信次郎は,山中に温石層を発見,その後の温石湯の起源となった。上谷集落は弘化2年耕作方出精,年貢早期皆済で太米13俵の賞をうけ,これを基にして殿様祭りの座が始まった(遺徳之碑文)。明和2年高良川で精米用の水車が始まる。この辺りを水車谷という。宝暦4年の全領百姓一揆の時,当村を指導し,五郡追放になった百姓長右衛門がいる(石原家記)。明治11年の戸数461・人口1,894。明治8年高渓・上山・長園3小学を設置,同19年合わせて簡易科小学となる。同20年に山奥杉谷集落の分教場教師となった戸田友次郎の献身的教育に感謝し,いまなお戸田先生祭りが続いている。同年の戸数444・人口2,379。同22年市制町村制施行による高良内村となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7440127
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ