ケータイ辞書JLogosロゴ 国分(中世)


福岡県>久留米市

 戦国期に見える地名。筑後国御井郡のうち。天正12年3月28日に大友義統が高良社大祝鏡山宗善の討死勲功により子息保真に与えた袖判知行坪付(大友家文書録所収鏡山文書/大分県史料33)に「三井郡之内国分六町」がある。なお,文禄2年3月18日の高良社神職名知行所数注文によれば,地内には大祝領20町・真乗坊領5町・千如坊5町・大祝加増地6町の36町の神職知行地があった(高良大社文書/郷土研究筑後2)。国分はもとより筑後国分寺の所在地に由来する地名であるが,中世御井郡にはこれとは別に「国分寺村」があり(現久留米市宮陣町宮瀬),南北朝期の史料に見える。古代の筑後国分寺の所在地は,近年の発掘調査によって旧国分村(現久留米市国分町)であることが確認されているから,この国分寺村は,国分寺の移転により,その地に成立した中世以降の村落であり,従って,「国分」の方が本来の国分寺所在地にちなむ地名であり,かつ近世国分村の前身であろうと思われる。なお,戦国期永正年間の星野長泰宛大友氏奉行人連署状(高良山関係文書/県史資料7)に「南国分」の地名が見えるが,これは他の関係史料によって「南国府」の誤記であることが明白であり,国分とは別地である。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7440167
最終更新日:2009-03-01




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