木屋村(中世)
鎌倉期〜戦国期に見える村名。筑後国上妻郡のうち。弘安7年4月12日の少弐景資書状写に「筑後国木小屋地頭香西小太郎度景」と見える(五条文書/鎌遺15150)。木小屋は木屋であろう。同書状は,弘安の役に際し,弘安4年閏7月5日肥前御厨子崎海上における香西度景ら一族の戦功を記したものである。南北朝期正平8〜14年に征西将軍方に属して活動した木屋行実は,当地に本拠を置いた武士であった(木屋文書/県史資料9)。現在も子孫がおり,軍忠状を保存し,裏山にその墓(宝篋印塔)がある。室町期永享7年畠中源六の書状には「黒木山内木屋村」とある(五条文書/筑後国史)。なお,当地には猫尾城(黒木城)があり,黒木氏の本城として知られていたが,天正12年7月20日から大友氏の攻撃をうけ同年9月,黒木家永(実久)は降伏した(五条文書など/大日料11‐7・11‐8)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7440282
最終更新日:2009-03-01