ケータイ辞書JLogosロゴ 木屋村(近世)


福岡県>黒木町

 江戸期〜明治22年の村名。上妻郡のうち。江戸期は南木屋村ということが多い(元禄郷帳・天保郷帳・明治元年高辻帳・旧高旧領)。柳川藩領。谷川組に属す。村高は,「元禄国絵図」113石余,「天保郷帳」204石余,「明治元年高辻帳」113石余,「旧高旧領」585石余。貞享元年に久留米から黒木を経由して玖珠に至る道が矢部川沿いに整備され,豊後別道となる。花平ミカンは江戸中期までは献上品として有名。神露淵の矢竹・タケノコも運上物として上納した。木屋氏の分家の木屋徳令(石門)は,日田の広瀬淡窓に学び,弘化5年家塾修文館を開いて,明治25年までに門人3,000余を数える。三ケ名堰は,宝暦13年南大淵村に築造,当村を通り黒木堰の下に落水。光善寺がある。明治9年四条野村を合併。木屋小学校は,明治6年時習小学校(教員1,生徒数は男38・女5の計43人)として発足する(三潴県小学校調)。同12年荒谷分校新設。同14年渡内分校新設。同18年花平区に花平分校を新設。明治11年の戸数469・人口2,359。同22年木屋村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7440283
最終更新日:2009-03-01




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