ケータイ辞書JLogosロゴ 五郎丸村(近世)


福岡県>久留米市

 江戸期〜明治22年の村名。御井郡のうち。はじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領。五郎丸組に属す。村高は,「元禄国絵図」580石余,「在方諸覚書」の古高997石余,「天保郷帳」680石余,「旧高旧領」1,001石余。文化9年には田6町6反余・畑田35町8反余・畑55町4反余・居屋敷1町4反余(農政農民史料集)。用水は床島水道の北廻り水路による。江戸末期の大庄屋会所の所在地。鎮守は八幡・天満の2社。戦国末期の廃寺を江戸初期に再興した浄土宗報身寺がある。北辺を松崎宿経由の筑前街道が通る。明治17年の戸数87・人口505。同19年第一尋常小学校設立。同22年宮ノ陣村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7440296
最終更新日:2009-03-01




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