ケータイ辞書JLogosロゴ 採銅所村(近世)


福岡県>香春町

 江戸期の村名。豊前国田川郡のうち。小倉藩領。糒【ほしい】手永に属す。村高は,「正保国絵図」1,450石余,「元禄国絵図」1,740石余,「天保郷帳」2,146石余,「旧高旧領」2,153石余。「人畜改帳」では採銅所村と採銅所町が見え,享保年間の「開善寺過去帳」では上採銅所村・下採銅所村・採銅所町と見えることから,江戸前期までにすでに採銅所村と採銅所町に分かれ,同中期までに当村は上採銅所村・下採銅所村に分かれた。元和8年の家数190・人数218,牛馬53(人畜改帳)。庄屋は世襲制。地内の古宮八幡宮は当村の氏神で,のち上採銅所村・下採銅所村・採銅所町の氏神となる。古宮の御輿は,明治21年まで,香春神社の9月の祭礼に行幸していた。寺院は,真宗大谷派の明善寺と浄土宗の来迎寺。なお来迎寺には明治5年公立小学校が開設。細川氏時代,金の採掘が行われ,寛永4年には300人くらいの掘子がいた(田川市史)。当時,金辺の観音に金造仏が祀られたと伝える。小笠原氏時代には地内高原に郷蔵が置かれた。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7440323
最終更新日:2009-03-01




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