ケータイ辞書JLogosロゴ 皿垣村(近世)


福岡県>大和町

江戸期〜明治9年の村名筑後国山門【やまと】郡のうち矢部川と支流塩塚川に挟まれた平野部の中央に位置する地名の由来については,皿垣は猿楽という説もあるが,サラは新しい,垣は垣内・堤防を意味し,新しい開という古名であろう少なくとも平安期の干拓地であろうという(柳川地方干拓誌)天正9年柳川城主蒲池鎮漣の弟統春の居城佐留垣城が落城地内に城跡がある柳川藩領垂見組に属す村高は「旧高旧領」648町余明治5年の反別は40町6反余(郡郷/立花家文書)文禄4年の筑後国知行方目録には当村名は見えないが,慶長年間に築堤された慶長本土居の内側(内陸側)に当村が位置しているので,この時期には成立していたと考えられる正保2年柳河藩領地図には鷹尾村のうち皿垣村とあり,また「元禄国絵図」にも同様の記載がある享保15年鷹尾神社の分社として江越八幡神社を創建慶長本土居上に設けられた同神社の灯明台は,皿垣の舟着場の灯台として,また常夜灯として用いられた文化9年10月15日伊能忠敬が当村内字南開・新田・夕(由布)開,鷹尾新田皿垣のうち荒開・中土居・甲木を測量(測量日記)明治9年栄村の一部となる現在の大和町栄のうち
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7440420
最終更新日:2009-03-01




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