ケータイ辞書JLogosロゴ 寒田村(近世)


福岡県>築城町

 江戸期〜明治22年の村名。豊前国築城【ついき】郡のうち。小倉藩領。安武手永に属す。村高は,「正保国絵図」260石余,「元禄国絵図」277石余,「天保郷帳」385石余,「旧高旧領」394石余。元和8年の家数68・人数147,牛18・馬9(人畜改帳)。貝原益軒は,元禄7年に当地を訪れ「寒田村は谷中せばし,されど民家所々に多し」と記している。また枝村の溝口についても「民家数区あり」と書き残している(豊国紀行)。享保の飢饉での餓死者は214人(開善寺過去帳)。幕末木の子岳事件が起きた。これは慶応元年12月倒幕派の志士が寒田の古城跡にたてこもって勤王の旗挙げを企図し,一方で幕府領日田と小倉藩との連携を断とうとするものであったが,日田郡代に鎮圧された。飯盛に飯盛神社,上の宮に山霊神社,垣内に御年神社がある。明治7年に民家を借用して寒田小学校が設けられた。同22年上城井村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7440426
最終更新日:2009-03-01




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