ケータイ辞書JLogosロゴ 尻高(中世)


福岡県>新吉富村

 鎌倉期から見える地名。豊前国上毛郡のうち。承元3年12月6日の関東御教書案(到津文書/大分県史料1)によれば,宇佐大宮司公定が扶持人を「尻高浦」に差遣して藤原秀忠を殺害したとして,宇都宮信房が幕府に訴えている。おそらく,宇都宮信房が宇佐大宮司家に対して尻高浦の藤原秀忠と内応して敵対しようとしたため殺害されたのであろう。これに対して幕府は「対其仁名字可訴申之処,引載惣官名字被訴申之条,非正儀歟」として却下している。なお,ここに見える「浦」は国衙領的な徴税単位であろうとされる(吉富町史)。下って,文明10年1月11日の大炊入道祐泉書状(黒水文書/県史資料10)によれば,永享7年6月,豊後国姫岳城で杉重宗について3年間忠節に励んだ大内氏の被官黒水氏は,その功により尻高15町を5年にわたって知行した。しかし「無正躰在所」となり,その代地として京都郡内草野庄2町・上毛郡内末松4町6反をもらったが不足分8町4反は残ることとなったという。天文13年7月26日の黒水道種の譲状(同前)でも,尻高15町代所不足分9町4反(ママ)を愁訴するよう伝えているところからすると代所地は容易に与えられなかった。なお,この地に関係あると思われる土豪として観応3年3月日豊前国河依(久恒)範房軍忠状(下毛郡誌所載久恒文書/大友史料7)に尻高次郎四郎が見える。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7440514
最終更新日:2009-03-01




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