ケータイ辞書JLogosロゴ 四太郎村(近世)


福岡県>吉井町

江戸期〜明治9年の村名筑後国生葉【いくは】郡のうち耳納【みのう】山地東部の北方,筑後川中流左岸の微高地上に位置するはじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領石井組に属す村高は,「元禄国絵図」26石余,「在方諸覚書」の古高30石,「天保郷帳」26石余,「旧高旧領」35石余宝暦年間頃の役高は54石,大庄屋石井弥六郎が三角村とともに庄屋を掛持ち(在方諸覚書)嘉永元年頃の作柄は「大凡田方六俵,粟作六俵」(廻村書留)文化4年の耕地は田2町余(農政農民史料集)氏神は宝満宮,虚無僧寺の林棲軒がある(寛延記)明治9年宮田村の一部となる現在の吉井町宮田の一部にあたる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7440522
最終更新日:2009-03-01




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