ケータイ辞書JLogosロゴ 地島村(近世)


福岡県>玄海町

 江戸期〜明治22年の村名。筑前国宗像【むなかた】郡のうち。福岡藩領。箱崎触に属す。天正年間の「指出前之帳」によれば,地積・分米は田1町余・20石余,畠11町余・37石余,合計13町余・57石余。村高は,「慶長国絵図」161石余,「正保郷帳」181石余(田41石余・畑140石余),「元禄国絵図」181石余,「天保郷帳」181石余,「旧高旧領」181石余。農耕地には乏しく,鰯網の盛んな漁業の島で,宗像七浦の1つ。浦庄屋は中山家の世襲。慶長年間,黒田如水の命により島の東側に波止場が築かれ,元和4年には藩費で補修が行われた。泊の突堤は殿様波止と呼ばれる。かつて赤間ケ関〜博多間は良港に恵まれず,沿海航路船の避難港として寄港船が100隻を超える日もあり,泊島とも称したという。回船業も隆盛で,地ノ島の米運送問屋博多屋の船が着かないと米の相場が決まらなかったとも伝え,博多屋の屋敷跡のほか,松屋・泉屋など当時の屋号で呼ばれる家並みも残る。天和元年遠見山に遠見番所を設置。村内には厳島神社・泊若宮神社・牧大明神社・須賀神社・恵比須神社が祀られ,寺院は博多一行寺末の海雲山西光寺がある。明治初期の戸数83・人口423(男203・女220),耕地は田2町余・畑24町余・大縄田畑1反余,田は中稲・麦,畑は麦・琉球芋・大根などを作り,正税は米・大豆46石余,雑税は米・大豆1石余と金4円余(地理全誌)。同22年岬村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7440537
最終更新日:2009-03-01




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