ケータイ辞書JLogosロゴ 地島(近代)


福岡県>玄海町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ岬村,昭和30年からは玄海町の大字。明治22年の戸数89・人口495,地積は畑29町・原野43町など計106町。漁船数は,大正期87,昭和44年69,同52年105(玄海町誌)。昭和30年頃から椿油とウニを名産品として発売。集落は玄界灘斜面の季節風を避ける山陰に,泊と豊岡の漁業集落が分布する。本土に近い泊集落が,刺網・定置網主体の漁業であるのに対して,かつて白浜と呼ばれた豊岡集落は釣漁業が盛んで,小鯛一本釣りは他県の漁民が近海で大量に釣りあげるのを見て学んだという。かつては捕鯨も行われ,山見と称する見張所が白浜山頂に残り,鯨が発見されると,見張人は狼煙で大島見張所へ合図を送った。昭和初期まで,倉良瀬戸では鯨の姿が見られたという。現在,地島漁協は,漁業経営体数60,登録漁船115隻で,3t未満が63%を占める。根付資源採捕が中心となる沿岸漁業が盛んで,昭和59年の総水揚t数のうち,ワカメが2分の1,サザエ・アワビが4分の1,タイが5分の1を占める。島の南東の須加崎と鐘崎の浜ノ上の間の海中には浅瀬が続き,凪の日には一直線に白波が立つ。昭和38年に就航した鐘崎港からの1日4便の渡海船玄海丸も,この地島曽根のため大きく迂回して泊・豊岡両港へ周航する。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7440538
最終更新日:2009-03-01




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