ケータイ辞書JLogosロゴ 下底井野村(近世)


福岡県>遠賀町

 江戸期〜明治22年の村名。筑前国遠賀郡(寛文4年御牧【みまき】郡が改称)のうち。福岡藩領。浅木村ともいう。虫生津【むしようづ】触に属す。枝村として木守村がある(元禄郷帳・天保郷帳)。村高は,「慶長国絵図」863石余,「正保郷帳」797石余(田666石余・畑131石余),「元禄国絵図」524石余,「天保郷帳」1,025石余,「旧高旧領」1,017石余。集落は馬場・定光・下方・沖・切戸・岩野・片牟田。享保17年の餓死者は西光寺関係分で170人(遠賀町歴史年代表)。文政6年,門司盛実が貞光館を開塾。中央部を山田川,西部を西川,東部を狭間川がそれぞれ南北に貫流し,遠賀川に注ぐ。東部には桶池があり,蓮が多く植えられていた。村内の橋梁は53か所(地理全誌)。鎮守は浅木大明神社,寺院は浄土宗鎮西派恵日山西光寺。小名の築縄手は開墾法に由来する地名という。また鯉取は藩主献上の鯉の網引場,定光はかつての名田にちなむという(遠賀町地名考)。明治初期の戸数71・人口346(男173・女173),牛41・馬31,田65町余・畑13町余・大縄田畑2畝余・山林5畝余,特産物は瓦,正租は米・大豆476石余,雑税は米・大豆14石余と金4円余(地理全誌)。明治6年筑前竹槍一揆により当村有吉家が焼打ちにあう(年表近世遠賀川流域史稿)。同7年浅木小学校を設立,生徒数は男68・女9の合計77(県史資料1)。同22年浅木村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7440664
最終更新日:2009-03-01




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