ケータイ辞書JLogosロゴ 下百町村(近世)


福岡県>三橋町

 江戸期〜明治22年の村名。筑後国山門【やまと】郡のうち。柳川藩領。宮永組に属す。村高は,「天保郷帳」147石余,「旧高旧領」235石余。寛永年間には矢島主水正の知行地で,高300石であった。文久2年頃二ツ川左岸の船場に武藤久広という刀鍛冶がおり,のち鎌をつくり船場鎌と呼んで重宝がられた。明治18年熊本〜長崎間の国道(現国道443号の一部)が北部の旧道の南に東西に開通。同22年宮ノ内村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7440726
最終更新日:2009-03-01




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