ケータイ辞書JLogosロゴ 新宮村(近世)


福岡県>新宮町

 江戸期〜明治22年の村名。粕屋郡のうち。福岡藩領。筑前上浦触に属す。浦大庄屋がおかれた。文化9年の大庄屋給は給米30俵と2人扶持,同年の浦庄屋給銀450匁(県史資料7)。昔は湊村の内にあり,南風湊と称したが,貞享2年に分村した。同年砂が激しく吹き上げて入り海を埋めたため,海側に土堤を築き松を植えて集落をそこに移した。従前の居住地は畑となり,新宮浦の支配地として年貢を納めた。新居住地は砂の吹上げが強く,享保年間には石垣を作って防いだ。無年貢地で,「元禄郷帳」「天保郷帳」など郷帳類には村名が見えず,地籍上は湊村のうちに含まれていた。明和年間に町方同様の地主銀を上納するようになった(金内文書)。漁業と廻船の浦として町立てされ,廻船は主に大坂に米を運んだ。「続風土記付録」には,家数200,本町・中町・裏町からなるとある。磯崎神社,浄土宗西山派西念寺がある。明治初期の戸数157・人口722(男363・女359),耕地は登録されず,山林6反余,漁家66戸・網数156・漁船32,物産として漁魚・酒・醤油・酢・菓子・岩【いわおこし】・素麺などがあり,正税はなし,雑税は1円余(地理全誌)。同22年新宮村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7440883
最終更新日:2009-03-01




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