ケータイ辞書JLogosロゴ 須恵村(近世)


福岡県>須恵町

 江戸期〜明治22年の村名。粕屋郡のうち。福岡藩領。旅石触に属す。18世紀半ばには上須恵村を分村。ただし,「元禄郷帳」「天保郷帳」には上須恵村の項に須恵村枝郷と注記している。村高は,「慶長国絵図」1,110石余,「正保郷帳」827石余(田736石余・畠91石余),「元禄国絵図」452石余,「天保郷帳」711石余,「旧高旧領」686石余。弘化元年の人数は男183・女196の合計379(須恵町誌)。弘化3年の組頭3。17世紀末頃から高場流の眼科医高場正節(のち岡氏と改名)が当地で眼科医療を行い,藩医としても知られ,当村に治療に訪れる人が多かった。このため農民は農業のかたわら宿屋を営み,藩からも特別に店売を許された。そして目薬の製造が盛んに行われた。宝暦年間に福岡藩士新藤安平がこの村の蓬谷で陶石を発見,肥前有田の磁器製造技術を学ばせて窯を開き,明和年間には福岡藩の保護を受け,安永年間に福岡藩の御用窯となった。文化年間までには上須恵に皿山役所が設置され,登り窯は2か所あり,陶工は32戸におよんだ(続風土記拾遺・須恵町誌)。宝満宮や浄土真宗西派専能寺がある。明治6年の戸数87・人口433(男214・女219),田46町余・畠12町余・山林35町余・新開地4町余,物産は目薬・櫨実・鶏卵・種油など,正税は米・大豆384石余,雑税は米・大豆12石余と金6円47銭余(地理全誌)。同22年須恵村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7440944
最終更新日:2009-03-01




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