ケータイ辞書JLogosロゴ 添田村(近世)


福岡県>添田町

 江戸期〜明治20年の村名。田川郡のうち。小倉藩領。添田手永に属す。村高は,「正保国絵図」370石余,「元禄国絵図」405石余,「天保郷帳」550石余,「旧高旧領」591石余。正保年間までに当村のうち町屋が多い北部を添田町村として分村した。なお,「豊前村誌」では慶長年間頃の分村という。元和8年の家数216・人数494(男277・女217),牛42・馬42(人畜改帳)。延享4年の田川郡銀小物成鑑によれば,銀小物成201匁余,うち職人札40匁・藁31匁余・糠8匁余。同年の「人畜改帳」では,家数216・人数487(男246・女241),牛43・馬2。嘉永5年の家数88・人数367,牛51・馬4。享保飢饉の餓死者は41人(開善寺過去帳)。明治4年田川郡北部より百姓一揆が起こり当村まで波及。同9年添田町にあった小学校を旧藩社倉(現添田小学校敷地の一部)に移し,同18年添田尋常小学校と改称(添田町誌)。明治初年の物産は米768石・麦200石・茶800斤・櫨実4万斤・蝋1万斤・楮皮1万斤・中折紙500束・竹4,000本(豊前村誌)。小倉からの街道が日田・猪膝経由,筑前への分岐点であった(道標石文)。同20年添伊田村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7441076
最終更新日:2009-03-01




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