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- 大善寺村(近世)とは
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大善寺村(近世) 江戸期の村名那賀郡のうち真国川上流域の山間部に位置する畑野村・大西村などとともに下番村を構成高野山行人領友淵組に所属「続風土記」によれば,村高127石余,家数28軒・人数97,小名に新・上野があるまた神社は今宮社のほかに上仮屋明神森・下仮屋明神森・阿弥陀堂,小祠2社,寺院は古義真言宗石上山大善寺がある阿弥陀堂の鎮守社は梁瀬堂とも呼ばれ,正平14年11月日の鞆淵荘下村仏神田注文(鞆淵八幡神社文書/県史中世1)に「下村分 百三十歩 箭那せノ堂油田」とあるまた小社のうち八幡宮は平野原という地にあり,この地について正長2年8月25日と推定される鞆淵園大検注分田支配切符(同前)に「地主 平野彦二郎」と見える |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」