ケータイ辞書JLogosロゴ 高塚村(近世)


福岡県>椎田町

 江戸期〜明治22年の村名。築城郡のうち。小倉藩領。椎田手永に属す。村高は,「正保国絵図」580石余,「元禄国絵図」597石余,「天保郷帳」887石余,「旧高旧領」930石余。元禄7年当地を訪れた貝原益軒は「椎田の四町ばかり東の浜に松原あり。其内に綱鋪天神の社有。東海にむかへり。海辺佳景なり」と記している(豊国紀行)。享保の飢饉では226人が死んでいる(開善寺過去帳)。村内に延塚卯右衛門の碑がある。天保7年の大飢饉の時,築城郡の奉行であった延塚卯右衛門は独断で根付料の免除を行い,その責任をとって切腹したため後世義人と崇められた。寺院は真光寺がある。明治22年椎田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7441216
最終更新日:2009-03-01




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