ケータイ辞書JLogosロゴ 鷹場村(中世)


福岡県>三輪町

戦国期に見える村名筑前国夜須郡のうち高場村とも記される天正15年に小早川隆景が筑前領主となり,領内の各寺社領の整理再編を行ったが,これにともなって安楽寺(太宰府天満宮)も筑前国内における坪付を指し出したが,その中に夜須郡の内として「鷹場村之内田中名五町」があげられ,検校坊の知行分とされている(大鳥居文書/県史資料7)しかし,その比定地はほかに所見史料がなく,同寺領となった経緯や時期などは全く明らかでない一方,同年12月に小早川隆景は天満宮にあらためて宮領200町を打ち渡したが,その中に当地の名は見えないので,おそらくはこの時に収公されたのであろう夜須町下高場に「タナカ」と俗称される所があり,それが鷹場村のうちの田中名の遺称地かとも考えられるなお,天正年間の「指出前之帳」によれば,高場村の地積・分米は,田121町余・1,293石余,畑33町余・169石余,合計田畠155町余・1,462石余とされ(指出前之帳),夜須郡内においては田畠数で第一,石高では甘木村に次ぐ大村であったこれに「高場村」とされているので,当村が上高場・下高場の両村に二分されるのは近世に入ってからであろう現在の三輪町上高場・山隈・高上【たこえ】,夜須町下高場にあたる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7441249
最終更新日:2009-03-01




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