ケータイ辞書JLogosロゴ 田島村(近世)


福岡県>玄海町

 江戸期〜明治22年の村名。宗像郡のうち。福岡藩領。勝浦触に属す。村高は,「慶長国絵図」987石余,「正保郷帳」788石余(田577石余・畑210石余),「元禄国絵図」788石余,「天保郷帳」1,211石余,「旧高旧領」1,203石余。慶長年間に大井村・用山【もちやま】村を分村したと思われる。釣川が村内で東に屈曲するために田畑の冠水がたびたびであったが,宝暦年間に流れを変えた。宗像神社の周辺に社家が並び,農村部は村の南側を占めていた。村民生活は宗像神社の年中行事と深くかかわり,天保14年の略御祓配分覚帳や略御祓御初穂神納帳(宗像家文書)によると,81体の御札を受け,米3斗2升2合・銭314文を奉納している。とくに11月15日の惣社祭では,当村のみで供米(元禄13年には4斗8升)を供えた。ほかに氏神八幡神社があり,寺院は臨済宗大徳寺末の多福山興聖寺,曹洞宗泰雲寺末の東方山医王院がある。明治初期の戸数117・人口600(男314,女286),耕地は田59町余・畑36町余・大縄田畑9反余,田は中晩稲,畑は麦・菜種・大豆・粟・琉球芋などを作り,正税は米・大豆457石余,雑税は米・大豆13石余と金9円余(地理全誌)。同7年成章小学校が開校,教員1,生徒数は男46。同22年田島村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7441345
最終更新日:2009-03-01




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