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- 田代町(近世)とは
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田代町(近世) 江戸期~明治初年の町名諫早【いさはや】市中の1町本明川の河口にある諫早の河口港である光江津に隣接江戸期から明治31年の九州鉄道門司~長崎間開通までの間は,光江津経由の公私海上交通,年貢物資運輸,産物移出入などが盛んで町に活気があり,下町に至る表通りは市中の一等地であったと伝える田代町別当が置かれ,町内および周辺の若干の集落を管掌した明治初年(2~3年か)市中が3町1津に分割されると,東町字東下町の一部となるなお,明治11年には諫早町2丁目のうちとなり,同22年以後は諫早町乙字東下町の一部となる通称町名としての田代町は昭和15年まで存続し,同年諫早市成立に伴い新しく編成された通称町名の東本町の一部となって消滅したなおまた,かつて海運によって繁栄した当町は,その後一時「鉄道輸送ノ普及ニヨリ四囲ノ状勢一変シテ商工業振ハズ暫ク休止ノ状態ヲ継続セリ」(三町村合併拾週年記念昭和八年諫早町現勢要覧)という状態になったという |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」