ケータイ辞書JLogosロゴ 田野郷(中世)


福岡県>玄海町

 南北朝期〜戦国期に見える郷名。宗像郡のうち。正平23年宗像宮年中行事に「田野郷杜社」などが見える(神道大系神社編宗像)。次に応永神事次第には「田野郷神人等」が見え,同神事次第の永享9年3月7日の追記部分には,第二・第三両宮長日御供立用米として「田野郷六石」とある(同前)。下って,天文20年11月23日の温科慰重給田畠屋敷等注進状に,田野郷がある(竹井文書/県史資料5)。このほか,弘治2年正月20日,占部甲斐守にあてた宗像氏貞家臣連署状からは,占部甲斐守の知行地が田野郷にあったことがわかる(新撰宗像記考証/宗像郡誌中巻)。さらに,天正3年11月15日,吉田彦三郎にあてた宗像氏貞判物には父和泉守知行分として「田野郷三反」が見え(同前),永禄4年6月1日,宗像氏貞が宗像神社の「諸社之御祭礼立用米」に寄進した100町の中には「田野郷三町」とある(宗像神社文書/宗像郡誌中巻)。なお,天正年間の「指出前之帳」によれば,当村(枝村江口村も含む)の地積・分米は,田50町余・804石余,畠21町余・94石余,合計72町余・894石余。文禄4年の筑前鞍手宗像御牧三郡内知行方目録帳では,鞍手郡たの村として890石2斗4升とある(小早川家文書1/大日古)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7441444
最終更新日:2009-03-01




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