ケータイ辞書JLogosロゴ 田原荘(中世)


福岡県>川崎町

 南北朝期〜戦国期に見える荘園名。豊前国田川郡のうち。至徳元年11月3日の大政官牒に京都鹿王院領として「豊前国田河郡内田原村・糸田庄」と見える(鹿王院文書)。この両地はその後興福寺別院竜華樹院領となり,文明2年3月には「竜華樹院御領豊前国田川郡之内糸田,田原両庄」を大友氏の被官長野左近将監が年300貫で請け負っている。この時の補任状によれば,田原・糸田両荘は平安後期の承保年間に白河上皇の寄進を受けて以来,竜華樹院領であったとしているが(大乗院寺社雑事記),真偽はわからない。その後,文明4年2月10日条に「糸田・田原」,同6年正月11日条に「豊前国糸田・田原庄」などと見えるが,同院の領主権は動揺していた。文明10年5月28日には足利義政が「豊前国糸田并田原」を竜華樹院に返付しているが(南禅寺文書),「大乗院寺社雑事記」文明18年9月11日条を最後に竜華樹院領としての記事は見られなくなる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7441458
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ