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- 太郎丸名(中世)とは
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太郎丸名(中世) 鎌倉期~南北朝期に見える名田名薩摩国祁答【けどう】院のうち建久4年の薩摩国諸郡注文に「祁答院〈自名 太郎丸名〉」とある(宮之城記/入来文書)南北朝期には当名は渋谷千代童丸所領で,暦応4年5月5日に渋谷石見権守重棟子息弥四郎重春らが「祁答院太郎丸名長野宿所」に放火狼藉したため,同年7月には千代童丸が薩摩守護島津貞久(道鑑)に出訴している(道鑑公御譜/旧記雑録)現在の薩摩町永野付近に比定されようなお,寛元4年2月8日惣地頭所下文に見える冠岳権現に寄進された「太郎丸名内那良原壱曲」は薩摩郡内とあるが,あるいは当名と同所かと思われる(串木野頂峯院文書/旧記雑録) |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
太郎丸名(中世) 鎌倉末期に見える名【みよう】の名豊後国国東【くにさき】郡香地【かかじ】荘のうち現在地未詳正和3年4月11日の香地荘領家下知状に,「下 香地庄番匠給太郎丸田畠荒野等」とあるのが唯一の史料(黒田文書/大友史料4)番匠給名であった... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」