ケータイ辞書JLogosロゴ 常用村(近世)


福岡県>筑後市

 江戸期〜明治22年の村名。下妻郡のうち。常持村とも書く(元禄郷帳・天保郷帳)。はじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領。中折地組に属す。村高は,「元禄国絵図」730石,「在方諸覚書」の古高940石,「天保郷帳」489石,「旧高旧領」732石。天文8年の開創を伝える浄土真宗東本願寺派興満寺がある(寺社開基)。また北方入口の納骨堂境内には,藺草を伝えた大正院の墓があり,慶長9年12月吉日と刻する。藺業関係者は大正院の遺徳をしのび毎年10月8日墓前で顕彰祭を行っている。氏神の天満宮の創建は不明であるが,御神体裏に天明5年とあり,棟木にある嘉永5年に再建されたものであろう。そのほか地蔵堂2・釈迦堂1がある(寛延記)。文化4年の本田51町3反余・畑田4町6反余・畑14町4反余・居屋敷1町余,春免高876石(農政農民史料集)。明治17年の戸数69・人口343。同22年下妻村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7441638
最終更新日:2009-03-01




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