ケータイ辞書JLogosロゴ 鶴田村(近世)


福岡県>筑後市

 江戸期〜明治22年の村名。筑後国下妻郡のうち。はじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領。新庄組に属す。文禄4年の筑後国知行方目録に,「七百弐拾九石六斗参升 つる田村」とある(立花文書/県史資料4)。村高は,「元禄国絵図」636石,「在方諸覚書」の古高620石,「天保郷帳」717石余,「旧高旧領」874石余。熊野神社は紀伊国熊野山からの勧請と伝える(稿本八女郡史)。ほかに天満宮2,観音3,藪天神がある(稿本八女郡史・寛延記)。浄土宗安福山宗清寺は,同寺三世真誉が市之塚にあった堂舎が災害に悩まされることから慶長17年に移したもので,鎮西派善導寺の末寺である。境内に柳川城主蒲池鎮の弟入部宗院(寛永7年卒)の墓がある。百姓善左衛門・太右衛門父子は過納銀米のことで安政6年から万延2年にかけて村庄屋と争い,大庄屋・郡役所によっても埒があかず,ついにお白州吟味によって黒白をつけようと直訴状提出を繰り返した。迫害を受けながらも要求実現を図ったが,不成功に終わったようである(農政農民史料集)。文化4年の本田43町6反余・開田4町1反余・畑田2町7反余・畑28町7反余・居屋敷1町余・春免高807石余(同前)。明治17年の戸数98・人口467。同22年古川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7441693
最終更新日:2009-03-01




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