ケータイ辞書JLogosロゴ 多布郷(古代)


福岡県>大平村

 奈良期〜平安期に見える郷名。「和名抄」豊前国上毛郡四郷の1つ。大宝2年の豊前国上三毛郡戸籍断簡に「塔里」として初見(正倉院文書/大日古編年1)。その後,和銅から霊亀にかけての郡郷名の好字2字統一および里から郷への改編によって塔里は多布郷となったらしく,寛平元年の宇佐八幡宮行事例文では多布郷となっている(石清水文書/平遺4549)。この郷は大宝2年の戸籍の断簡によると,秦部・塔勝の人々が多く住み,楢勝・調勝・強勝・榎本勝などの勝姓の人もいて,渡来人系の人々が多い。その外に海部・物部直・膳大伴・難波部などの人もいた。また無姓の人もいた。奈良中期以後宇佐宮が中央権力と結び発展していくと,この郷は宇佐宮と密接な関係をもち,「潔斎之郷」とされ,平安初期にここの封民田部澄の愁により,ここに武威の輩の居住が禁じられた。「宇佐大鏡」には「上毛郡田数三百余町之外,浜田相伝二十町多布原畠地五十町」とあり,畠地としての多布原が現われるが,これと多布郷との関係は未詳。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7441767
最終更新日:2009-03-01




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