ケータイ辞書JLogosロゴ 通外町(近世〜近代)


福岡県>久留米市

江戸期〜現在の町名江戸期は久留米城下の出町の1つ城の南東方,久留米段丘の東辺部に位置し,北と東を筒川が流れる町名は,通町十丁目口番所の外にあることに由来する番所東口の豊後街道筋の通外町府中口,北口の筑前街道筋の通外町宮地口の2つの町並みをふくむ延宝4年絵図には町屋記載がないが,安永年間の町間数は府中口45間,宮地口1町28間とある(筑後志)また「天保絵図」は宮地口を松原と記し,明治5年の絵図には通外東町(35軒),通外北町(59軒)とある幕末期の掛り町別当は通町の酢屋(久留米市誌)町筋は城下から筑後川宮地渡しへの道で,藩主の参勤路でもあった寛延2年藩主有馬頼徸が府中口町際に五穀神社と神宮寺の円通寺を創建し,春秋の祭礼は「御繁昌」と称され,城下8掛りから境内に舞台を構えてにぎわった文政年間,一時境外の地の水茶屋に芸妓をおく遊所ができた久留米絣の始祖井上伝は当町の出身明治17年の戸数161・人口867同22年久留米市の町名となる大正14年の戸数152第2次大戦後,東部町裏に住宅が開け,五穀神社境内一帯に通外町公園を設置昭和57年の世帯数269・人口730
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7441784
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ