ケータイ辞書JLogosロゴ 永谷村(近世)


福岡県>鞍手町

 江戸期〜明治22年の村名。筑前国鞍手郡のうち。長谷村とも書く(続風土記付録)。福岡藩領。ただし,元和9年〜延宝5年は直方【のおがた】藩(東連寺藩)領。文化9年には植木触に属す。新延【にのぶ】村から分村して成立。ただし,「元禄郷帳」「元禄国絵図」「天保郷帳」では新延村枝郷と注記されている。村高は,「元禄国絵図」「天保郷帳」ともに57石余,「旧高旧領」では「無高大縄場」とある。「続風土記付録」によれば,慶安年間に博多の商人白水八郎左衛門(幽心)という者が新田開発して一村をなしたという。「続風土記」にも新田村なりとある。細長い谷間で田地は少ないが,長崎街道木屋瀬宿からの内宿通りが村内を抜け,宗像【むなかた】郡吉留村との境猿田峠を越えて福岡と通じていたため商人が多く移り住んだ。文政3年の戸数55・人数292,うち31人が商人であった。(村明細帳)。また藩主の御入所(御茶屋)が置かれた。産土神は新延村の剣大明神(剣神社),また観音堂には白水八郎左衛門の位牌がある。四郎山に菅原神社がある。文化9年の庄屋は半助(県史資料7)。明治初期には,集落は本村・宮ノ下に分かれ,戸数68・人口326,大縄田畑8町・山68町,池5,牛12・馬5,石炭礦場3,物産は生蝋・石炭・蜂蜜・紙,正租は米・大豆15石余,雑税は米・大豆4斗余と金1円余,村社菅原神社ほか小堂1がある(地理全誌)。明治22年西川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7442047
最終更新日:2009-03-01




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