- JLogos検索辞書>
- 中牟田村(近世)とは
「中牟田村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
中牟田村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中牟田村(近世) 江戸期~明治10年の村名上益城【かみましき】郡のうち中無田村とも書く託麻台地南端のすそ部と秋津川・木山川・矢形川の氾濫原からなる地名のムタは湿地・泥地の意熊本藩領村高は「旧高旧領」849石余「肥後国誌」では沼山津手永に属し,沼山津村のうちとあり,高500石余秋津川以南の低湿地は,江津塘築堤後は水害常襲地帯となり,集落は秋津川以北に移住したなおもとの宅地跡には三官屋敷の名が残るまた排水路として,寛政年間に新左衛門堀【しんじやぼり】,文化年間に万蔵井手,嘉永年間に裏井手が掘られた道路は,竹宮村広木原から村内に入り井寺村に至る御船道,戸島村から西牟田村間島に至る戸島往還があった(秋津村略史)氏神は権現宮(現中無田熊野座神社)で,慶長18年井寺村浮島熊野宮から分霊を勧請したと伝える熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属同10年秋田村の一部となる現在の熊本市秋津町秋田・東野1~4丁目の各一部にあたる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中牟田村(近世) 江戸期の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中牟田村(近世) 江戸期の村名佐賀郡のうち佐賀平野中央部,筑後川支流巨勢【こせ】川の東岸に位置する佐賀本藩領古瀬【こせ】郷に属す「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」ともに1村として見え,「宝暦郷村帳」では小村に牟田寄新村がある「天明村々目録」「天保郷帳」「旧高旧領」には村名が見えず,村高は不明「玄梁院様配分帳」「大小配分石高帳」ともに鍋島内記が地米高168石余を知行する「明治7年取調帳」では瓦町村の枝村として見える... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」