ケータイ辞書JLogosロゴ 中山村(近世)


福岡県>三橋町

 江戸期〜明治22年の村名。筑後国山門【やまと】郡のうち。文禄4年12月1日付の筑後国知行方目録に「中山村」と見えるが,石高の記載はない(立花文書/県史資料4)。柳川藩領。本郷組に属す。村高は,「元禄国絵図」333石余,「天保郷帳」397石余,「旧高旧領」1,080石余。明治5年の反別は77町余(郡郷/立花家文書)。矢部街道が通り,東部に二里石の道標があった。中央に熊野神社があり,延宝2年立花忠茂寄進の石鳥居がある。元宮は日吉神社。熊野神社境内のフジは県天然記念物。立花帯刀茂高の次女玉は漢詩人で,中山詩稿があり,当地に住んでいた(旧柳川藩志・県史資料3)。明治19年立花寛治が熊野神社の東に農事試験場を創立し,のち立花農場となった。同22年川辺村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7442152
最終更新日:2009-03-01




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