ケータイ辞書JLogosロゴ 南良津村(近世)


福岡県>小竹町

 江戸期〜明治22年の村名。筑前国鞍手郡のうち。古くは楢津とも奈良津とも記し,勝野村の枝村であったが(正保国絵図),のち独立村となった。福岡藩領。ただし,元和9年〜延宝5年および元禄元年〜享保5年は直方【のおがた】藩(東連寺藩)領。村高は,「元禄国絵図」514石余,「天保郷帳」529石余,「旧高旧領」522石余。集落は本村および嘉摩川堤防側の二本松にあったが,本村は昔堤防の側にあったのを延宝4年に洪水の難を避けて今の地に移したという(続風土記)。古来「一野面,新延,三南良津」と称され,洪水が多かった。また二本松は,かつての本村の地だという(続風土記拾遺)。木屋瀬宿から穂波郡飯塚宿に抜ける長崎街道は嘉摩川の堤防に沿って通っている。かつてその近辺は大竹藪であったが,正徳3年薩摩の飛脚が盗賊に遭うという事件が起こって以来,伐採して畑とした。その際の盗賊の首を梟した池が獄門池として村内に残った(続風土記拾遺)。産土神は蔵王権現社(南良津神社)で,宝永5年御徳村より勧請。金剛谷山には観音堂がある。明治初期の戸数70・人数374(男178・女196),牛42・馬15,田40町余・畠24町余・大縄田畠1町余,水害の難があり,物産は茄子,正税は米・大豆174石余,雑税は米・大豆5石余と金5円余(地理全誌)。同8年南良津小学校創立。同22年勝野村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7442199
最終更新日:2009-03-01




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